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「GoogleAnalyticsのデータが消える」の話じゃなくて、、、先にGDPR(EU一般データ保護規則)を意識しないとダメなんじゃない?というお話し

本投稿で提供している情報は、ご利用される方のご判断・責任においてご使用ください。できるだけ正確な情報の提供を心掛けておりますが、本投稿で提供した内容に関連して、ご利用される方が不利益等を被る事態が生じたとしても、執筆者は一切の 責任を負いかねますので、ご了承ください。 また個人ブログであり、在籍している職場、コミュニティとも関係ございません。  「GoogleAnalyticsのデータが消える」の話じゃなくて、、、一番はじめに、2018/5/25からEEA圏(欧州経済領域)にて施行開始される「EU一般情報保護規則:General Data Protection Regulation (GDPR)」施行のお話しがあるということ。まずはそこの確認から始めましょう。と、GoogleAnalyticsのトラッキングデータが消える??  昨日(2018/04/18)くらいからネット上で、やはり利用している方が多いせいか、「GoogleAnalyticsのデータが消える?」     ↓「ならば”消えない設定”にしよう」って読み取れる記事がどんどんでてきてますが、、、 GoogleAnalyticsのトラッキングコードをEEA圏のサイト利用者が踏んだ時点で、GDPRの個人情報の定義のうち「オンライン識別子(IP アドレス、クッキー識別子)」が設定され、、、個人情報として取得(移転)されることになるので、、、抵触となる可能性大。 つまり、 「GoogleAnalyticsのデータが消える?」     ↓「ならば”消えない設定”にしよう」     ↓
 「EEA圏のユーザーをトラッキングしてユーザーにCookieを、さらにリターゲティングデータを移転」 ということになり、、、これって即ちGDPRに抵触してんじゃん?ってことになり兼ねないのかな。と。(しかるべき法務担当者へのヒアリングをお勧めします。) そんなリスクを半永久的にはらんじゃいそうな「ならば”消えない設定”にしよう」でほんまに大丈夫か?ってところが目下の心配ごと。  あちこちの記事、その記事を読んだ方々のソーシャル上でのやりとりざっと見ても

「先にGDPRありき」の話をしてないのが気になる。 「GoogleAnalytics使っているけどGDPRを知らない人」はミスリードそらするわと。GoogleAnalytics界隈の大御所、小川卓さんのエントリでも4/19追記として、GDPRありきのGoogleAnalyticsの設定変更であることが言及されました。 

【参加の外化】Xデザイン学校大阪分校公開講座:UX/サービスデザインの今とみらいを考える

Xデザイン学校大阪分校公開講座が開催されました。

今回は受講者ではなく、ご縁もあり運用側の立ち位置で参加させていただきましたので、受講者目線・運営目線織り交ぜて外化してみる。■集客数と濃さ運営側としては「継続させる」という意味で「マネタイズ(収益化)」はとても大切なポイントです。だからと言って「マネタイズのために頭数そろえればそれでいいの?」ってところはそこは悩ましいところ。  ちょうどご参加いただいた近大の山縣先生がfacebookにアップされていたコメントが「基本軸のぶれない部分と時代状況の変化の部分とが、相変わらず絶妙に織りなされてるので、油断ならない(笑)ぼーっと聴いてると、えらい目に遭います(笑)」とほんとにそうで、、、この”時代状況の変化”をお話しして下さるときの浅野先生のスライドや例え話などはほんとうにわかりやすい。先生のスライドの表紙の写真一枚とってみても、、、ほとんどが先生ご自身がご自身の足と目とカメラ(当然お金も、、、)で撮られた写真なんですよね。こうして常に現場に赴いて現状を踏まえてお話しをアップデートされているところが本当に凄い。さらにそのお話しのひとつひとつも「僕の話はみなさんどこかで見聞きしたお話しもあると思います。そうしたバラバラにある情報を、どう繋ぎ合わせるか、繋ぎ合わせてコンテクスト(文脈・ストーリー)にして伝えられるか、そこが僕の価値ですよね。笑」と仰っておりましたが、、、ご自身のもともとの知見が凄いのはもちろんのこと、、、こうして常に現物と現場に赴いてアップデートされているところが本当に凄い先生だなと改めて感動した次第。で、こんな濃厚なスライドを3時間。
ただ聞いてるだけだと、、あっという間にその波に洪水に飲み込まれる。ぼーっと聴いていると、えらい目に遭うわけです。汗講師・受講者というより、一方的な対話の中で織りなされる授業ではなく、、、講師・参加者というような、発話の量は違えど双方向なやりとりをもってともに集った場を紡いでいく協働的な側面も多分にあるわけで。。。教師:nに見える。(アトリエ型学習だったかな)集客数こそ伸び悩んだものの、そんな中この講座のことを知り、お休みの時間やお金を使って「参加しよう」と決断された方々は、既にその人それぞれの問いがあり、故にアンテナの感度も高い方々が集まったのかな?と。
既に日常そのものがダブルループ学習に向いている方たちであり、ともに学びの場を作っていくアトリエ型授業に向いている、とても濃い方々にご参加いただけたのかなと感じておりました。「アトリエ学習」「ダブルループ学習」について。浅野先生のブログの中でこのあたりのお話し。身につまされます。。。http://asanoken.jugem.jp/?eid=3233日々移り変わる社会の状況に合わせて変化する必要がある。特に昨今はそれが凄まじいスピードで来ている。ダブルループラーニングの世界である。■参加者同士で日々の問いを議論する「アンカンファレンス」年齢や性別、もちろん職種の違いに関わらず、「UXD」「サービスデザイン」というキーワードに皆さんそれぞれの問いの答えやヒントを見出そうと集まった方々と「アンカンファレンス」というワークショップを行うと。この「アンカンファレンス」初体験だったのですが、なかなか面白い。そもそも問いをもち、アンテナ高めの「濃い方々」が3時間みっちり先生の講義でインスパイアされた状況からの議論。胸アツの何物でもない。「アンカンファレンス」とは僕も初体験で何ぞや?だったのですが、、、
テック系のカンファレンスの休憩時間に出されるちょっとしたサンドイッチやカスクートと飲み物のテーブルの周り、もしくは手にそれらを持ったまま、参加者同士が今まで聞いたカンファレンスセッションを振り返って白熱の議論を各々のテーブルで繰り広げられると、、、

Web系だとAdobeとかAWSとかのカンファレンスに行くと本当にそういうことが良く起こる。で、これを「おもしろい」と感じた人達、、、これこそまさに、経験学習の「省察の時間」だと感じた人が、ワークショップの一つの形としたものが「カンファレンスじゃないところでの議論」からもじったのか「アンカンファレンス」というものらしい。今回の具体的な方法は。。。 まず先生の講義を聞く(ざっと3時間ほどありました。濃い。。。) 参加者40名各々がご自身が議論したい内容をポストイットに書き出して、ホワイトボードに集約KJ法で片っ端からグルーピング(担当させていただきました。上手くできたのだろうか。。。汗)結果7つにグルーピングされた内容をA3に張り出し、、、それぞれについて先生からの解説や書かれた内容の確認グルーピングされた7枚の紙(ディスカッションテーマ)を持ってそれぞれにディスカッションオーナー(議論をファシリテートする人)を立候補で選出。(参加者の方で希望者がなかったので僭越ながら「"UXの必要性"」というテーマでディスカッションオーナーをさせていただいた。)それぞれディスカッションテーマを持ったディスカッションオーナーのもとに各自移動。ディスカッション開始タイムマネジメントしてファシリテートして、、、時間内に結論をA3に記して代表が発表浅野先生からの講評ディスカッションテーマ"UXの必要性"に集まってくださったメンバーは 

2017年を"省察"して2018年へ"概念化"

さて、2018年あけてしまいましたが、2017年最大の学びとなりましたUX KANSAIで得た経験学習より「省察」から、このタイミングで2017年を振り返りつつ、概念化としてこのエントリを認め、2018年へ向向かいたいと思います。2017年を漢字一文字で表すと「悩」。ただし「答えのない悩み」ではなく「取捨選択のための悩み」「本当に大事なものを見極める為の悩み」「男四十にして悩み無し」というけど、、、自分の中ではいろいろ固まって来てるし、むしろ頑固になったり変えれないこともちらほらでてきたけど、、、前例のない時代、答えのない課題といったように、これまで自身が持って来たものだけでは太刀打ちできないような外環境になりそうだったので、そんな自分の外に対応できるようにするために、自分自身「悩み」学び直しや見極めに費やした時間だったなと。そのおかげで、2016年のころの自分より、2018年現在の自分は明らかに視点・視野・視座が変化したなと。自身の業務に置き換えると、提案や課題模索時のアプローチやプロセスが態度から変わったなと。もっと具体的に言えば、ずっと問題解決型デザイン一辺倒だったのがビジョン提案型デザインを取り込めるようになったあたり。2018年はどうするかというと、2017年で「取捨選択のための悩み」はあらかた終えたので、、「行動と結果の質」を意識しつつあくまでも結果重視で「学び直し」を強化する。。

製造業の成果を原価指標とする事。って知的労働者に適してないのでは?もっと良い評価指標があるんじゃない?と私のゴーストが囁くのよ。(でもよい指標未だ見つからず汗)

製造現場で利用される"工数(原価)"で作業者の数字管理するのってもっと他にいい方法はないものだろうか。。。特に原価の結果が多くなっとしても。。。他の会社さんはどうしてるんだろうか。。。工場見学ならぬ会社見学したい。笑「たくさん価値のある成果物に貢献したから工数が多くなった」なのか「ムダに調査やバグ潰し、想定外(見えていなかった)残業で工数が多くなった」なのかがわからず、一概の工数の過多だけでプラス評価かマイナス評価かわからない。もちろん、本来の製造業と呼ばれるラインに部品が流れて来てロボットが組み立てたり、印刷物のように、一度工場ラインに乗せれば、どのフェーズでも定量的に算出できる世界、仕入れ(インプット)と処理(原価)と成果物(売上げ)がコストと稼働と成果が定量的にわかりやすいなら工数という指標。。。前述のような「良い過多」なのか「悪い過多」なのか見えて来ると思うんだけど。知的労働者、つまり仕入れ(インプット)と処理(原価)と成果物(売上げ)が稼働と成果が定量的に一致し辛いものを「工数」という尺度で図るのは、前述のようにその過多が「良い過多」なのか「悪い過多」なのかが不透明になりやすく、現場当事者と例えば販管部門はたまた経営レイヤーと、どう一体となって「良い過多だから評価します。」「悪い過多だから評価せず改善しましょう」と持っていけなくない?と。色々抜け漏れがでてまずいんじゃないかなーとずーっと思ってるんだけど、良い書籍/リソース/他の会社さんの取り組みが見えずにもう何年も悶々としてるので、書き記してみる。

日本語というコンテクストの高い言語を第一言語とするが故に、ハイ・コンテクスト依存から抜け出せないコトが、いよいよ通用しなくなるんじゃないかと思ったことを記しておく

賛否両論ある「診断系」のエムグラム診断のなかの人のブログが熱く真摯的だった件タイトルは、素直に書くと日本語というコンテクストの高い言語を第一言語とするが故に、ハイ・コンテクスト依存から抜け出せない人達の集団が、複雑・多様化する世界で、そんな世界の中でコンテクストを理解しつつカタチにまで落とし込める人達と、コンテクストに依存して実装まで一人ではできない人たちとの格差が本気でヤバいんじゃないかとここ数年思ったことを記しておく(そして気がつくとUX KANSAI 2017の告知協力みたいになった)とか「198文字」多すぎですね。wなのでせめて「81文字」まで落としておきます。w最近流行っていたエムグラム診断。なかの人のブログがとても熱いし、真摯な姿勢。この密度はなかなか書けない。エムグラム診断。ブランディングのためのグロースハック、1ヶ月と1日。日本語ってコンテクストに拠り過ぎている言語だから(主語が無くても通じたり、故にこそあど言葉だらけになったり汗)確信や核心がない言葉の山になりがちだけど、、、ここまで、いい意味で晒してくれるのは本当に読んでいる側に安心と信頼を与えてくれる。なかの人も書いているけど「ネットは顔が見えない分、不安を与え、炎上したり、信頼を失墜させやすい」と。そしてエムグラム診断の中の人の言葉は真摯的な点もさることながら、技術・施策レベルで、自身や仲間が何をやっているのか把握している点。”文脈”をちゃんと理解しているからこそ、この密度、スピード感で書けているのだと感じた。こんなの”分業”したり、書く人と決裁権持つ人が分かれている時は正直無理だと思った。コンテクストがゆるい日本語で慣れてしまった代償日本特有の美徳すら言われる「根性(やればなんとかなる)」「行間を読む(察する)」ってことは、顔が見えないネットとは本当に相性が悪いよなと。そして今後右肩下がりが予想される世の中でも厳しいだろうなと。これからどんどん世の中のできることが増えて、複雑になっていくなかで、より一層「やればできる」「コンテクストに依存する」っていう本人よりも周囲の「できる人=実装できる人」に支えられている物事は、結構うまくいかなくなるんだろうなと、「なにがどうなってをきちんと理解して説明できない「依頼ばかりの人」とか逆に、そういう依頼者と組んで「実装だけの人」って、スキルセットとして足りなくなってくるんじゃないかなという感覚がどんどん確信に近づきつつ、実装レベル含めてできる人の世界になっていくんだろうなと。依頼だけの人と実装までできる人との距離感というか格差がどんどん目に見えて来るUX Kansai(浅野先生に今後の危機感をとても煽られる。けどそれは自身がもやもやしてきた点と点はあるけど線や面になっていない状態を線や面に変化するような刺激を与えてくれる場として僕にとって機能している)の後だから余計に思うけど。。。コンテクストがゆるゆるの受託制作ってビジネスモデルはなくなるんじゃないかな。依頼だけの人と実装だけの人が手を組んで助け合って成立していたビジネスモデルね。いやむしろ無くなってくれた方がそこに依存していた人達が新しい依存先を選べるきっかけになるから良くて、、、無くならずに儲けを生まないまま存在し続けて、そこに依存する人たちの可処分所得や可処分時間が減って、豊かな人生を削られてしまう事。いつのまにか沸き立つ湯の中の蛙にならないかしら?という危機感を覚えた次第。この1年はとにかく「続ける」ということを目標にした以上、何に危機感や焦りを自分が感じているかをちゃんと明文化しておく意味で記しておきます。「のど元過ぎれば」って都合のいい言葉があるけど、日々忙しくしてると忘れて、こうした危機感は日々に埋没して行くけど、、、そうならないために記しておく。そうしてこういう危機感や焦燥感を原動力として少しでも約半年後に、所作・態度して自分自身を変え、今後に対応できるように「UX KANSAI 2017年度のUXデザイン連続セミナー」申し込んでみました。受付開始【初学者〜中級者向け】関西唯一! UX デザイン連続セミナー2017(facebook)UX KANSAIのスタッフの方の言葉関西でUXデザイン/サービスデザインを実践し・同志に出会い・学び合えるのはUX KANSAIのこの場所だけ。とありますとおり、まだ見ぬ同志の皆さま、モヤモヤしている方も?既に先見の明をお持ちの方も、是非UX KANSAI 2017年度受講者同志として宜しくお願い致します。※注:私はUX KANSAIのスタッフでもなんでもない、ただの1受講者ですので合わせてヨロしくお願い致します。^^